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「どうぞ」
「何でもいゝから早くしてくれ。路をまちがへて大廻りしちやつたんだ」
「あの婆さん(家主のこと)自分の掘った温泉だから、意地をはって、ガタガタふるえながら、はいってる。絶え間なくタオルで身体をこすりながら、はいってる」
そこには一人の男が顔を手拭で蔽はれたまゝ、一種普通でない様子で寝かされていた。手拭の下からは赤黒く汚れた額の一部と、土埃にまみれた頭髪とがはみ出していた。その傍には、やはり印袢纏着の真黒い顔の男がついて、ぽかんとして戸外を眺めていた。
気の毒であるから、風呂はわかさなくともいいぜ、と高橋に云うが、彼も私を気の毒がっているらしく、たいておく。親切はありがたいが、気の毒がられるのも、つらい。思うように仕事ができないと、フロたきの人たちに悪いような気持になるので、かえって負担になることがあった。
「それでは、又あらためて伺ひます」
何なんでも明治三十年代に萩野半之丞はぎのはんのじょうと言う大工だいくが一人、この町の山寄やまよりに住んでいました。萩野半之丞と言う名前だけ聞けば、いかなる優男やさおとこかと思うかも知れません。しかし身の丈たけ六尺五寸、体重三十七貫と言うのですから、太刀山たちやまにも負けない大男だったのです。いや、恐らくは太刀山も一籌いっちゅうを輸ゆするくらいだったのでしょう。現に同じ宿やどの客の一人、――「な」の字さんと言う(これは国木田独歩くにきだどっぽの使った国粋的こくすいてき省略法に従ったのです。)薬種問屋やくしゅどいやの若主人は子供心にも大砲おおづつよりは大きいと思ったと言うことです。同時にまた顔は稲川いながわにそっくりだと思ったと言うことです。
答へながら、他人ごとのやうにずばずば何でも話してしまふ喜作の飾り気のなさに、驚いていた。
房一は持前の人慣れた愛想のいゝ微笑をうかべていた。それは水面にできた波紋がゆるく輪をひろげるやうに、彼の厚い醜い唇からはじまつてしだいに、顔全体をつゝみ、つひに容貌の醜さを消してしまふものであつた。
共同風呂のまん中には「独鈷とっこの湯」の名前を生じた、大きい石の独鈷があります。半之丞はこの独鈷の前にちゃんと着物を袖そでだたみにし、遺書は側そばの下駄げたの鼻緒はなおに括くくりつけてあったと言うことです。何しろ死体は裸のまま、温泉の中に浮いていたのですから、若しその遺書でもなかったとすれば、恐らくは自殺かどうかさえわからずにしまったことでしょう。わたしの宿の主人の話によれば、半之丞がこう言う死にかたをしたのは苟いやしくも「た」の字病院へ売り渡した以上、解剖かいぼう用の体に傷をつけてはすまないと思ったからに違いないそうです。もっともこれがあの町の定説と言う訣わけではありません。口の悪い「ふ」の字軒の主人などは、「何、すむやすまねえじゃねえ。あれは体に傷をつけては二百両りょうにならねえと思ったんです。」と大いに異説を唱となえていました。
練吉は今更のやうに、あらためて房一の様子を、その新調の自転車や医者らしい鞄などに目をやつた。すると、それらは今新しく練吉の前に彼の持物と同じものを感じさせ、更に、今まで耳にしていたものの、つひぞ気にもとめずにいた医師高間房一といふ人物がそこに忽然と姿を現しているのをいやでも見なければならぬと感じさせた。それは何故かどこかで練吉の自負心を傷つけ気を苛立たせるものだつた。
「へえ。ちよつとばかし――」
「おい、ビールは冷やしてあるかい」